出店する際に、不動産業者からの情報だけで決める事はあり得ません。事前に地図帳を調べたり、グーグルアースなどの航空写真を調べたり、商圏人口などの情報を調べるでしょう。そして、必ず現地に出向きます。現実は地図や図面とかなり違って見えます。百聞は一見に如かず、です。
「トヨタの口癖」と言われて社内で伝承されている語録集の中に、「三現主義」というものがあるそうです。それは、「三現主義(現地、現物、現実)。者に聞くな物に聞け。上司は現場を見なさい」です。TVドラマ風に言えば、「事件は現場で起きている」のです。
ところが、現場を見ていない上司が案外多いのです。例えば、赤字の担当者の売場を見ていない店長、店に行かないエリア長、店を回らない社長、、、店に行かない経営者は店舗を増やすべきではないでしょう。出店して後は放っておいたのでは、まともに育つはずがありません。現場を見ようとしないリーダーはリーダーの資格がありません。
こういう上司は、数字だけを見てああだこうだと言いがちですが、果たして統計表や報告書だけで、正しい判断が出来るのでしょうか。問題は店や売り場という「現場」で起きているのであって、数字はその結果を表しているに過ぎません。数字や報告で仮説や予測を立てることはできますが、それは地図や資料だけで物件を想像しているようなものです。
いつも店に居る店長は、自分では売場を見ていると思っているでしょう。しかし、「見る」ということは、店長室にこもって数字を見ている事ではありません。調子の悪い売場を自分の目で見て、棚に触って、担当者と一緒に原因を話し合い、解決策を取るということです。眺めているだけでは何も解決しないのです。
細かい品揃えなど分からないと言う声もあるでしょう。当然です。単品レベルでは担当者の知識にかなう筈がありません。そうではなくて、上司は担当者よりも一段高い視点で、原理原則の部分で売場や店を見なければなりません。赤字の売場を毎日30分でも触っていれば、必ず問題点が見えてくるものです。さあ、現場に行きましょう。
毎年同じようなことを書いているので、もう今年は書くまいと思っていたのですが、やっぱり合点が行かないというか、歯がゆい思いをしたので書くことにします。何のことかと言えば、「読書週間」です。
読書週間(10/27~11/9)にいくつかの書店を回ってみましたが、ブックフェアをやっているわけでもなく、それどころか店頭店内に「読書週間」という文字さえ見当たりません。折角、新聞やマスコミで読書の秋、読書週間と言ってくれているのに、肝心の書店が何もしていないのはあまりにもお粗末です。売れない店、売れない担当者ほど何もしないというのが、物事の道理なのかも知れません。
提案の無い店は滅びる、と言われてきました。品物があるだけで売れる時代ではありません。書店も決して例外ではありません。取次から自動的に送られてくる新刊や自動発注で入ってくる注文品を並べているだけでは売れなくなっているのです。
売れている店には「提案」があり「主張」があります。ブックフェアやコーナー作りという話だけではなく、商品の陳列方法や見せ方、アイキャッチャーやPOPも提案の一つです。売れていない店は殺風景です。それは入荷した商品をたんに「置いている」書店だからです。
いろんな事をやりたくてもシステム偏重で人件費を削られ、店売に余裕が無くなっているのかも知れません。今や書店に「作業員」は居ても、書店員や書店人は居なくなったのではないか、とさえ思えるのです。
入社当時の先輩から言われた言葉を思い出します。「この本を売りたいと思ったら、何かしなくてはいられないのよ」と。そして、置き場所を考え、陳列を工夫し、POPを書いていたのです。そう、本は置いているだけでは売れないのです。
『炭焼長者 黄金の謎 ~別府温泉の意外な前史を解く~』(角田彰男著 原書房)を読みました。いやぁ~、久々に面白い!と思える本で、2日で読み上げてしまいました。帯紙の推薦文には歴史推理小説の傑作とありますが、歴史の謎解き小説とでも言うのでしょうか。小説としての出来はさておき、そのテーマと展開が非常に興味深いものでした。
というのも、テーマは全国に流布する炭焼小五郎伝説の謎をめぐって、山梨から大分へ、臼杵石仏、三重、宇佐神宮、それに別府温泉に鶴見山が出てきます。歴史ミステリーですので、ここでは詳しく内容に触れるわけには行きませんが、私にはとても他人事、他所事には思えない内容です。
そもそも私は別府育ちで、鶴見山の麓、別府温泉の地で育ったたわけで、知っている地名がどんどん出てきます。また、3年半ほど前(2006年5月)に、前職を辞めた直後、もう一つのブログ【伊予路の音】で、臼杵の石仏と炭焼小五郎伝説について調べたこともあります。その1年後に、この本の著者から、臼杵石仏と小五郎伝説を調べていて幻の金山を発見したというコメントを頂いたこともあります。
この本を知ったきっかけは、書店のイベント台です。先週所要で大分へ行った際に勝手知ったる書店に立ち寄り、たまたま丸テーブルに布を敷いて、この本にPOPをつけてイベント展開していたのが目に入りました。奥付は2009年10月10日ですから、バリバリの新刊です。炭焼長者、臼杵伝説、鶴見山というキーワードが目に入って、定価も見ずに即座に買い求めました。
最初はこれを小説仕立てにしたのでは作り話と取られるのではないかと思ったのですが、しかし、このテーマを論文調で書いたとしたら一部の好事家以外には退屈なばかりでしょう。やはり小説という形態が一般受けします。ただ、どこまでが史実でどこまでが創作なのかという疑問は持たれてしまいますが、この本は実に綿密に調べてあって大変勉強になりました。3年前に断片的に調べた時には分からなかった事柄が結びついて、全体像が非常によく理解できました。
蛇足ですが、でもなぜこの版元から出版されたのか、意外な感じがしました。この版元には戦記物というイメージが強かったからです。もっとも最近は、ちょっと変わった人文書、ミステリー、海外恋愛物などジャンルを広げており、この本を書くきっかけになった先生の本がこの版元から出ているからかも知れません。
歴史ミステリーと言えば、この本は昔読んだ『猿丸幻視行』に少し雰囲気が似ていますし、あるいは『ハーメルンの笛吹き男』にも似ています。ともあれ、是非、別府市民、大分県民はもとより、歴史好き、ミステリー好きの方にお勧めしたいと思います。新刊配本の無い書店も多いと思いますので、仕入れて面陳してみてください。文芸書の時代小説の棚と歴史の棚に面陳するのが良いと思います。
新人さんにとって、メンチン、メンザシ、セチン、セサシと耳から聞くだけでは何の事だか分からないと思います。漢字で書けば、「面陳」「面差し」「背陳」「背差し」です。面陳とは面陳列のことで、背陳とは背表紙陳列のことです。
面陳ではなく表紙陳列とかフェイス陳列と言う書店もあります。要するに、本の表紙を見せて陳列する方法の事です。平積みは基本的に面陳です。棚の中で面陳することもあります。商品を目立たせたい時や在庫削減のために専用のケースを使ったり、不良在庫の抜き出しで棚が倒れて見苦しくないようにするために工夫することもあります。
文庫などは新刊1~2段分を全部面陳にしてPRすることもあります。背表紙だけよりも本の表紙を見せる方が格段にインパクトがあるからです。ただ、装丁によってはタイトルが分かりにくく、背表紙の方がよほど分かりやすいものもあります。
本の表紙は版元も力を入れており、この表紙のインパクトで本が売れることもあります。中身は著者の力量ですが、表紙とタイトルについては版元の力が大きいのではないでしょうか。また、表紙店舗の大型化に伴い、かつてのような背陳主体の陳列にすると在庫が増えてしまいます。平台や棚の中の面陳は、商品のPRと同時に在庫を抑える手段でもあるわけです。
単に回転率とも言います。一定期間に商品が何回売れたか(回転したか)を示す指標です。通常は1年間の売上を在庫高で割って算出します。正確には売上原価を商品原価で割るのですが、書店の棚卸は定価でやりますから、1年間の本体売上を定価の在庫金額で割っても同じ事です。棚卸しの在庫高が一番正確なので、年に1度の決算時に計算するのが良いでしょう。月々の在庫を12で割って1ヶ月分の在庫金額を計算し、それで月の売上を割るという方法もありますが、これはあくまでも目安です。
回転率はジャンルによって異なります。雑誌は回転率が高く、書籍、殊に専門書は低くなります。日販の「書店手帳」に掲載されている「書籍ジャンル別商品回転率」によれば、書籍総合の全国平均は2.3回転くらいです。文庫2.5、児童書2.1、学参1.7、実用書2.7、文芸書3.0、専門書1.9等などです。立地や規模によって回転率は異なりますので、詳しくは取次が作って年末に無料で配ってくれる「書店手帳」を参考にしてください。
回転率が低すぎると効率が悪い、つまりは売上げに比して在庫が多すぎるということですから、もっと売上を上げるか在庫を減らさなければならない。逆に回転率が高ければ効率が良いということですが、これも高過ぎると売り損じが生じている可能性が高いのでもっと在庫を増やした方が良いのではということになります。
この商品回転率は適正在庫の目安になります。適正在庫とは、売上を目標とする回転率で割った金額です。その額と実際の棚卸し額の差額が過剰在庫です。例えば、売上が1億2千万円で、目標が4回転であれば、適正在庫は3000万円です。しかし、実際の在庫高が4000万円ならばば、その差額1000万円が過剰在庫となります。
過剰在庫分は返品します。返品率は上がりますが、ともかくも返品ができるのです。委託販売制度のありがたいところです。CDなどは5%程度の返品枠しかありませんし、急激な売上不振によって不良在庫の山になっています。他の業界ではほとんど買切ですから、値下げしてでも売るしか在庫を減らす方法はありません。粗利が低い分、リスクも低いのです。
在庫は放っておけばいつの間にか増えていきます。過剰在庫は資金繰りを悪化させるし、管理も難しくなります。在庫は罪庫になってしまうのです。在庫を減らせば売上が上がるものです。
回転率は業種によって大きく異なりますが、一般的に4回転くらい、12ヶ月÷4回転=3ヶ月、つまり3ヶ月で売り切れるくらいの在庫量を目指したいものです。
『うちの社長は、なぜ「ああ」なのか』(石原明著 サンマーク出版)を読みました。タイトルを見て興味を持ち、昨年末か年初に購入したのですが、そのまま積ん読になっていたのを最近引っ張り出して読んでみました。読み始めたら実に面白い内容で、一気に読み終わりました。タイトルから受ける印象よりも真面目な内容です。
著者は長年の経営コンサルタントの経験から、社長は次の5つのパターンに分類されると言います。「目先没頭型」「他者不信型」「振り回し型」「振り回され型」「リスク回避型」の5つ。このいうタイプの社長はどう考え、どう行動するか。それによってどんな問題や弊害が起こってしまうのか。その対処法はどうしたら良いのかということを、実話に基づいて解説していきます。
巻末に診断テストがあって、本人もしくは部下が診断してみると、自社の社長がどれに当て嵌まるかが分かります。自社は「目先没頭型」と「振り回し型」の要素が非常に強いと思いました。本人にこの本を回したところ、同じく「目先没頭型」と「振り回し型」だと自己診断していました。
目的はそれを反省し改善してもらうことなのですが、読んでなるほどと感心していても、すぐに改まるということは期待しない方が良いでしょう。まずは自己認識してもらうことが第一歩だと思っています。
「三日三月三年」という言葉は、元は芸事か修行の心構えから来ているようです。つまり、「三日我慢すれば三ヶ月は耐えられる。三ヶ月耐えられれば三年は頑張れる」という意味のようです。そこから転じて、入社して三日我慢すれば三ヶ月は耐えられ、三ヶ月耐えられれば三年は頑張れるという意味になったようです。
私が最初にこの言葉を上司から聞いた時は、「入社3日目でその社員の性格が分かり、3ヶ月目でその能力が分かり、3年経てば将来が分かる」と教えられたような記憶があります。また、「1年目は足し算の時代、2年目は引き算の時代、3年目は掛け算・割り算の時代」とも言われました。これは、1年目は何でも吸収し、2年目は無駄を省き、3年目は創意工夫をする。この繰り返しで物事が成就すると。
ここで言われている「3」という数字は、語呂が良いからであって厳密な数字ではありません。新入社員の3割が3年以内に辞める等と言うのと同じ類のことです。素数ということもありますが、「三本の矢」「三度目の正直」「三方良し」「日本三大○○」「三種の神器」「三日坊主」「石の上にも三年」「三々九度」等など、古来より日本人は「三」という数字を好むようです。
私も今の会社に転職して丸3年になりました。慣れぬ異業種での3年間で、書店のようなセルフ販売と自社のような接客販売との違いはあっても、基本的に小売業はいずれも同じ悩みや問題を抱えているということを感じています。私自身は滅多に現場に出ることはないのですが、出店や組織を作るということにおいては大差はありません。ただ、この辺で総括をしておきたいと思っています。
傍から見ると私は会社の為に頑張っているように見えるらしいのですが、実はそうではありません。私の基本的な考えは、仕事は自分の為に働くということです。自己のレベルアップが結果として会社の為になると考えています。逆に会社の為に頑張っていると言う人ほど、実はあまり役には立っていないものなのです。こんなに会社の為に頑張っているのに、と思えば不平や愚痴になるのです。まさに『「のに」が付くと愚痴が出る』(相田みつを)です。
使命感や社会貢献も同じ事でしょう。使命感だけでは仕事はできません。途中で息切れを起こしてしまいます。仕事や本業を通じてこそ地域や社会に貢献できるのであって、世の為人の為などと公言している人や会社ほど、陰であくどい商売をしていたりするものです。自分の為、自分の会社の為に頑張る、それが結果として世の中の役に立つ、そういうことです。
また、会社の為に頑張るという事と経営者の為に頑張るという事は違います。会社の為には頑張れても、経営者の為には頑張れないということはあります。会社や経営者とベクトルが一緒なら、つまり目指すゴールが一緒ならば、例えコースや速度が違っていても何とかやっていけるでしょう。しかし、経営理念に賛同できなかったり、目指すゴールが違っていたら、いつまでもは一緒に走れないことでしょう。
私は仕事のできない人は嫌いではありません。イライラしたり腹を立てることはありますが、それは自分の教え方や指示の仕方にも問題があったのかも知れないのです。結果はともあれ、一生懸命仕事をしている人は、応援こそすれ嫌う理由はないのです。
しかし、仕事をしない人は別です。能力の有る無しに拘らず、会社には仕事をしない人、しようとしない人がいます。何だかんだと理由をつけてはサボる。自分がやるべき事を部下に押し付ける。自分の担当は放っておいて他のことをやりたがる。こういう人は正直言って嫌いです。特に役職が上の人間ほど。
一説にダメな会社というのは、社長が部長の仕事をし、部長が課長の仕事をし、課長が係長の仕事をし、係長が主任の仕事をし、主任が担当の仕事をする。そして、平社員は会社の将来を憂えている、ということだそうです。仕事とは、好きなことをやることではなく、必要な事をやる事なのです。
ところで、前職を退職する時に、後輩店長達から会社を大きくしてきた功労者だったのに残念だと言われました。当時はさほどに気にかけていなかったのですが、最近あれはどういう意味だったのだろうかと気になっています。
というのは、会社がまだ小さい時に、会社の危機を救ったり、業績を伸ばしたりすることに功績があった人を功労者と呼びます。しかし、過去においては確かに力を発揮したのだが、現在はそうではない場合、それを「過去の功労者」と呼ぶのでしょう。
経営者にとって、この「過去の功労者」の扱いには苦慮するようです。会社が小さかった頃はともかく、その後会社が大きくなり、組織も変わり、優秀な人材も増えてきている中で、その知識も能力も考え方も時代に合わなくなってしまっている人がいます。でも、苦しい時に世話になったのだからと、今も尚高い地位と高給を与え続けていると、それに対して若い社員からは不満の声が上がってくる。よくある話です。
西郷隆盛の「南州翁遺訓」に、「過去にどんなに功績があっても、そのポストに不適任な人をつけてはいけない。ポストというのはその人物をよく選んで付けるものであって、功績のある人には俸給を与えて遇するのが良い」とあります。中国の故事にも「徳の高いものには官位を上げ、功績の多いものには褒賞を厚くする」とあるそうです。
でも、「過去の功労者」はまだましです。問題は「過去の遺物」になってしまっている場合です。会社のルールが守れない、勝手なことをする。一日中何をするでもなく部下の仕事の邪魔をする。出張と称して経費ばかり無駄に使う。自分の存在意義を確認するために不要の仕事を作る。結局、上司の尻拭いを部下がしなければならない。そんな「介護」が必要になっている人をいつまでも高い役職に置いていると、社員は会社や経営者に対して強い不満や不信感を抱くものです。
『頂きはどこにある?』(スペンサー・ジョンソン著 扶桑社)を読みました。
帯紙によれば、前作『チーズはどこへ消えた?』は、世界で2400万部、日本で370万部を売ったとあります。『チーズはどこへ消えた?』は「変化を恐れるな」という寓話で、多くの企業でテキストとして採用されたようです。かくいう私も前職の書店で、当時の社長に店長職以上は全員これを読んで読書感想文を出せ、と言われて読みました。
あれから10年。「経済危機のアメリカで、たちまちベストセラー」と帯紙にはありますが、そもそも帯紙は宣伝文句ですから真偽のほどは定かではありません。ただ、先週の新聞に掲載されていた東京主要書店のベストセラーには顔を出していましたから、一定程度は売れているのでしょう。
ということで、『頂きはどこにある?』を読んでみました。正直言って、「なんだこれ?」的なものでした。年老いた成功者が若者に人生の知恵を教えるというような、最近の自己啓発書に多い話です。内容的にも順境の時、逆境の時の考え方、身の処し方というありふれたものです。『チーズはどこへ消えた?』ほどの新鮮さはありません。前作を読んだ人が手にするかも知れませんが、売れるかどうかは疑問です。
行き着けの本屋には面陳、平積みしていましたが、売れているようでもありません。扶桑会の関係で、返品したくても出来ないということでしょう。扶桑会とは言わば扶桑社の特約店会のようなもので、大手版元はそれぞれ似たような組織を作っています。全国の有力書店法人○○社と限定して組織しているものです。こういう特約店会に入っている書店には商品は入るが、それ以外の書店は取次任せ、つまりは入らないということです。
中小企業の社会貢献とは何かを考えています。大企業ならば、植樹活動だとかメセナなどの社会貢献活動も可能でしょう。しかし、中小企業は、本業を通じての消費者へのサービス提供、あるいは会社を継続営業することや出店による雇用の確保など、本業を全うすることこそが結果として地域や社会に貢献するということだと思うのです。
障害者の採用が法定雇用率以下どころか、唯の一人さえ障害者を採用していない中小企業が、社会貢献を云々するのもどうかと思います。ましてや、満足な利益も出せない中小企業が、同業他社の支援を云々するのは、あまりにもおこがましい話で、下手をすると傲慢と言われても仕方が無いでしょう。
再生支援というのは聞こえがは良いでしょう。しかし、最後まで面倒を見られないケースもあります。そもそも会社はボランティアや慈善活動をやっているわけではないし、あくまでビジネスをやっているのです。美辞麗句を並べたところで、自社を犠牲にしてまで他社を支援することはできないのです。
もっともそれは、口先だけのことなのかも知れません。実際は下心を隠して新規に取引をしようということに過ぎないのかも知れません。それを社会貢献と称しているだけのこと。良く言えば思い込み、悪く言えば偽善です。志はとても大事ですが、それを実現するのは言葉よりも行動です。中小企業の社会貢献とは、あくまでも本業を通じて結果として世の中のお役に立つということではないかと思うのです。
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